紫香楽宮跡しがらきのみやあと(宮町遺跡)

天平14年(742年)、聖武天皇が離宮造営に着手したことに始まる紫香楽宮。
わずか数年で遷都されたため長く幻の都といわれてきましたが、平成12年(2000年)、宮町地区で宮殿跡が発見され、全国的に注目を集めるようになりました。
天平14年(742年)、聖武天皇が離宮造営に着手したことに始まる紫香楽宮。
わずか数年で遷都されたため長く幻の都といわれてきましたが、平成12年(2000年)、宮町地区で宮殿跡が発見され、全国的に注目を集めるようになりました。
聖武天皇が発した大仏造立の詔により、大仏の骨組みとなる体骨柱を立てたと推察される寺院跡。
数多く残されている礎石が当時の面影を今に伝えています。
多羅尾は江戸時代に幕府勘定奉公のもとで、直轄地の支配を行う代官を、世襲で勤めた旗本多羅尾氏の本拠地であり、同氏の居館であるとともに代官所が置かれ、一般に「信楽役所」「信楽陣屋」と称されました。
当時の建物は現存しませんが、一帯を見渡す高台に造成された広大な敷地や石垣・庭園などが残り、その歴史を今に伝えます。
※見学希望の方は下記へご連絡ください。春(4月・5月)と秋(10月・11月)には一般開放され、自由に見学することが出来ます。
多羅尾代官陣屋跡保存会(多羅尾地域市民センター 0748-85-0001 ※月~金)
信楽の町並みが一望できる城山山頂にあります。
昭和49年に城の土塁が発見ざれたのが発端となり、安土・桃山時代に多羅尾氏が再興した小川城と判明しました。
神君甲賀伊賀越えでは、徳川家康が甲賀市信楽町にある小川城で宿泊し、尾張へ向かった記録が残っています。
奈良時代初め(和同年間)に創建されたと伝承のある式内社。平安時代以降、山岳信仰や修験道の聖地として栄えました。
現在の本殿は、慶安3年(1650年)に建立された極彩色の建物で国の重要文化財に指定されています。
昭和51年(1976年)、修復事業により創建当初の姿が再現されました。
信楽の町を一望できる愛宕山山頂にある、土の神と火の神を祀る神社。
焼き物のまちならではの陶器の鳥居や狛犬をご覧いただけます。
中世の戦乱で大半が焼失した仙禅寺。
その奥院跡には、岩壁に彫刻された鎌倉時代の三尊の磨崖仏がひっそり佇んでいます。
仙禅寺にある石碑には、「木がくれて茶摘みも聞くや不如帰(ほととぎす)」という芭蕉の句が刻まれています。